ヨハネスの哲学宗教日記

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ヨハネス・クリマクスという人物(執筆中)

ヨハネス・クリマクスというと、キルケゴールの著書の仮名の著者として有名である。だが、6世紀に東方で活躍した修道士の名前でもある。
その名前の人物を紹介したい。私もギリシャ語が読めるわけではないので、綿密なテキストクリティークができるわけではないが、その業績の一部でも知っていただけたらと思う。



近代思想史におけるキルケゴール、及びキルケゴールとレギーネ・オルセン(執筆中)

ソクラテス

近代思想、近代哲学について述べようとするとき、普通、ソクラテスの名前は出てこない。だが、キルケゴールの存在は、ソクラテス(とイエス・キリスト)なしには語りえない、というくらいだから触れておかねばなるまい。
日本では「私は自分が何も知らないことを知っている」といった無知の知という言葉で知られるソクラテスだが、彼の存在は古代アテナイ、いやギリシャ世界にどういう影響を及ぼしただろうか。ソクラテスが出る以前、自然哲学を説いたミレトス学派にしろ、イオニア学派にしろ、世界の構成要素は何か(世界は何から出来ているか)という問題が中心とされた。世界の存在について説明することが、人間の存在理由をも説明すると考えられていたのである。たとえば、ピュタゴラスは世界の構成要素はまさしく数に還元できると考えたし、デモクリトスはそれは物質の最少単位である原子であると言った。
さて、ソクラテスはそのような考え方を一変させてみせるのである。世界が何で出来ていて、今後どうなるかなどについて予測し知ることができても、それは人間の存在理由なども説明しないし、まして人間がどう生きるかという問題には何も影響しない。むしろ、知を愛するとは、人間の生き方のあるべき道を考え導き出すことであり、それは倫理に帰着するのである。簡単にいうと、ソクラテスはこう言い、それまで世界・自然の問題が中心を占めていた哲学を、人間とその倫理を第一とするものに、変えたのである。
だが、実際ソクラテスがそういった積極的発言を行ったのではない、とキルケゴールはその処女作『イロニーの概念について―絶えずソクラテスを顧みつつ』で語るのだ。ソクラテスとは、イロニーの概念そのものであり、ソクラテスはイロニーという生き方を通して、ギリシャ世界の考え方を変えるほど、否定性(言い換えれば一種の破壊性と言ってもいいかもしれないし、現代哲学でいう解体・脱構築(deconstruction)というものにも近いかもしれない)を示すことで、弟子たち(プラトン等)に積極的創造性を付与したのだ、というのである。

イロニーは無限の絶対的否定性として、主体性の最も軽く最もかすかな徴しである。
『イロニーの概念』(キルケゴール著,飯島宗享・福島保夫訳,白水社,1966)

イロニー、それは絶対的に否定をし続けることで、たしかにソクラテス自身の主体性(ここではオリジナリティ、あるいは創造性のようなもの)はほとんどないのだけれど、教育的には大きな意味を持っているのである。
たしかにさきほど言った無知の知の一例を見ても、そう言えるのかもしれない。つまり、様々な場所にいって様々な達人といわれるような人に対し、ソクラテスは次のように問うのである。「あなたの知っていることは何か。どういうことなのか。」だが、彼らの言うことは、いわば世界の一部の知識だけであって、いかなる意味でも良く生きるとか、そういったものに役立つものではなかったのだと。つまり、そういった知識をまず全否定して見せるのである。そして、そのイロニーの結論が、「あなたがたは確かに私よりあるものごとについてはしている、だが、私は何も知らないということを知っている」というのである。これは一種のニヒリズムである。そして、その否定性に創造性を見るのは、プラトン達がやってみせた技なのである。
簡潔にまとめると、ソクラテス以前と以後を見てみると、たしかに自然や世界を考察して満足していた哲学を、人間がより良く生きるのは何か、という転換をさせたのは、ソクラテスであったことは間違いない。が、それはソクラテスが直接行ったのではなく、彼は否定しきるという技術において、彼の弟子たちを教育したのであり、その結果がそうなったのだということができる。
そして、「コペンハーゲンのソクラテス」と後世呼ばれることになるキルケゴールは、『イロニーの概念』以降、ソクラテスについて必要以上に語ることはないけれども、常に意識には入れつつ彼の哲学的考察を行ったのは間違いない。

イエス・キリスト

イエス・キリストとは、その伝道活動以来、さまざまな人がメシアとして、そして神そのものとして信仰の対象にしてきた人物であり、今日、(外典も含めた)福音書やローマ書等、つまり新約聖書やその外典を除いてその生き様を見る資料を残していない人物である。その評価は古今東西様々であり、私が単に書ききれる相手でもないと思うが、ここではヨーロッパ思想史上、神への信仰の重要性を説いた人物の一人としておこう。
4つの福音書からわかる、生前、イエス・キリストが説いた重要な教えの一例を挙げておこう。
まず一つは、「神の愛」(ルカ11:28,ヨハネ8:32等)である。これは、「神が私たち人間を愛する」と言った意味での、「神からの愛」という考え方であり、神に近づくことで、神に救われる、というものである。
2つ目は、「隣人愛」(マタイ5:43,22:29等)である。

「隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイによる福音書22:29,新共同訳聖書)

そして、「神の国(天の国)の実現は現世的なものではない」ということも説いた。
最後に挙げておくが、ユダヤ教的に律法を守ることではなく、神への信仰をもつことの重要性を説くのである。これは、人間から「神への愛」とも呼ばれるものである。

イエスが生前に説いた教えというのは、比喩が多いが、その中でも神の国(天の国)に関することがほとんどである。そして神からの愛、神への愛、隣人愛という愛の唱道者でもあった。

それらの倫理的側面ももちろん重要なものである。特に、理神論者と言われる人々やそれに先行するエラスムスは、聖書中でイエスが説いた道徳的・倫理的な側面からキリスト教を評価し、いわゆる啓示(※1)という立場を否定する。

だが、キルケゴールの立場は理神論者とは一線を画する。キリスト教の啓示、といった概念を重要視し、単なる道徳宗教としてのキリスト教(つまり理神論的キリスト教)を否定するのである。それに影響されたのが、20世紀を生きた神学者カール・バルトであり、彼は弁証法神学という啓示神学を打ち立てたのである。

実は、こうした啓示と倫理を巡る論争は、キリストの死からキリスト教の成立までの間にもおそらくなされてきたであろう。そしてキリスト教の成立以後も、かなりの期間を経て行われてきたものである。新約聖書の執筆者とされる人々は、もちろん啓示を重要視する(聖書とは啓示の集まりのようなものだから)。その代表者が、使徒ヨハネとパウロである。


神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者を一人も滅ぼさないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16,新共同訳聖書)

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。(ローマの信徒への手紙5:8,新共同訳聖書)


上記二つを読めばわかるが、神がイエス・キリストを地上に遣わしたこと、そしてイエスが地上で死んだことに大きな意味があると言っているのが読み取れるだろう。

イエスの宣教活動といったものももちろん重要だが、実は、イエスの死後主にパウロによって形作られた様々な考え方、例えばイエスが贖罪のための犠牲として捧げられたという考えや、そのイエスの死後復活があり、天の神の御坐の右に座られたという考えなどは、イエスが説いたことではないのである。

イエスの復活を信じ、イエスを神、もしくは神の近くにいる者(メシア=キリスト)として認めることが、キリスト教である。

これは人間の理性的な考えからすれば、一つの不合理に他ならない。人間がアダムから原罪(つまり死や苦しみ)をもち、その原罪を除き去るために、神がその独り子を遣わす必要性などないし、他にも様々な問題点があろう。そういった点で、人間の理性と神からの啓示ほど対立するものはないのである。それでもキルケゴールは啓示という立場に固くつくのである。

そして、イエス(とキルケゴール)を語る上で忘れらないのが、イエス・キリストの神性を巡る議論である。これは、最終的に三位一体という教えにつながるのだが、ここで詳しく語る余裕はないので次へ移ろう。


※1 啓示とは、ギリシャ語でAποκάλυψις(アポカリプシス)の訳語で原義は「覆い(ヴェール)を取り除く」といった意味。特に神からの啓示、と言った場合、神がヴェールの後ろに隠れた真理を明らかにするため、ヴェールを取り除き、真理を人間にわかるようにする(ここでは言語化する、といったイメージが近い)ということである。


ルネ・デカルト(中途)

近代哲学の祖、ルネ・デカルト。中世的なスコラ哲学からの完全な脱出と機械論的自然観を打ち立てた人として知られる人。哲学を神学の婢(はしため)から救い出し、宗教的要素を哲学から追い出した人。デカルトに関していえば、そのような評価がなされることが多い。もちろん、一面的に見ればこれもまた間違った解釈ではない。しかしデカルトははっきりと、神への依存なくして世界が成り立たないことを証明しようとし、無神論的世界観を打ち立てようと企てたことはなかった。

有名なデカルトの言葉に、「我考える、(ゆえに)我あり」(羅:Cogito Ergo Sum仏:Je pense, donc je suis)という命題がある。これは、デカルトが生きた当時に流行した懐疑論(※1)を方法的に、徹底的に推し進めてみると、何も疑いえないものとして唯一自我だけが残る、という言葉を端的に表した言葉である。しかし、神の存在証明をなそうとしたデカルトは、決してこの自我は、単独では立ちえないことも示唆しているのである。

奇妙なことに、この近代哲学の祖は、後世では神からの独立を説いて哲学という分野を確立した人物と評されることは多いけれど、彼自身、無神論者として見られることは酷く嫌ったし、また自身の著作が異端説ではなく、カトリックの正当教義に沿った考えだと見なしていた節がある。

実をいうと、彼の哲学説における神の立場については、彼が生きた当代における宗教改革との直接的な接点はデカルトはほとんどない(※2)。どちらかといえば、文学上のルネサンスの潮流と関係が深い。が、ここでその点に深く立ち入ることはやめよう。

史的にいえば、デカルトはその晩年、DOLでも登場するスウェーデン王国の女王クリスティーナの招聘に応じ、クリスティーナに講義を行ったともいわれている。だが、スウェーデンに着いてほどなくして、その寒さなど環境に耐えられなくて亡くなったと言われる。そして、その後新教国のトップだったクリスティーナがカトリックに改宗するということを行った。これもデカルトの影響であるとは言われているが、改宗を誘う人間デカルトが、無神論的な考えではなく、敬虔な宗教心を持っていたのは容易に想像がつくであろう。

さて、キルケゴールは未完の草稿『ヨハンネス・クリマクス―あるいはスベテノモノハ疑ワレルベキデアル―一つの物語』において、一つのデカルト論を書こうとした。それは、キルケゴールがデカルトの思想に一定の共鳴を示したことから行われたものであるように思われる。すなわち、一つはデカルト的自我の思想と自身の自我論・あるいは人間論といったものの近さがあり、さらに、そのデカルトの自我が神によって立つものであることが、最もキルケゴールの共感を生んだのであろう。共感したからといって、デカルトの言ったことがすべてを正しいと考えたとか、そういったことでは決してない。しかし、ヘーゲル的な思想とは違って、神に絶対的価値を認めている点では、やはりデカルトとキルケゴールは似ている部分もあるのである。

まとめると次のとおりである。デカルトとキルケゴールは一見して、正反対のことを言った人物として受け取られることが多い。具体的なイメージとして、デカルトは神からの独立を唱えた人物として、大してキルケゴールは神への帰依を説いた人物として見なされることがある。だが、そのような一面的な解釈では、キルケゴールがデカルトにある程度の親近感を持った理由など見当もつかないだろう。実際には、デカルトはスコラ哲学的信仰から、理性による神の把握へと、キルケゴールはヘーゲル的な理性信仰から神に対する関係が人間の生き方に大きく作用し、神への真の信仰を説いたわけだが、どちらにも共通するのが、後者(神の価値)が前者(それぞれにとって中途半端な神や信仰概念)より大きなものであることなのだ。


※1 懐疑論とは、見えているこの世の一切は幻のようなもので、本当のところは誰も知ることができない、君の考え方は確かにこの説明はできるかもしれないが、こちらはどうかね、違うだろうといった考え方。不可知論もこの一種と考えておけばよい。実はソクラテスは懐疑の人だが、同時にそのイロニーによって、その弟子たちに新たな見地を見させることが出来たと言う点で生産的な人ではある。だが、デカルトが生きた時代のスコラ哲学やほかの思想に対する懐疑はそのような生産的なものではなく、ただダダをこねるような有様だったのだ。もちろん独断論か懐疑論かの違いはありはすれど、ソクラテス登場前のソフィストの詭弁とデカルト以前の懐疑論は類似であり、ソクラテスとデカルトのそれぞれの存在もそれまでの考え方を一転させたという点では類似である。

※2 この点、デカルトの同時代人でジャンセニスムに大きな影響を受けたフランスの哲学者パスカルとは異なっている。ジャンセニスムの考えは宗教改革に大きな影響を受けている(というより、アウグスティヌスの一部の解釈を承継しようとする点でカルヴァン主義と共通点を有している)。


イマヌエル・カント

 
近世哲学の大御所カント。理性により仮象の理性を斃し、真の理性を復活させようとした理性の人。その代表的著作として知られるのは、三批判書である。三批判書とは、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という三つの批判(※1)を行った書物であるが、批判という名前こそついていないが、第四の批判書ともいうべき『単なる理性の限界内における宗教』の宗教論をキルケゴールの宗教論と対比して考えていくのが、カントとキルケゴールの関係を考える上で最も良い。だがそのことはキルケゴールの項目で語ろう。
 
さて、カントがいう理性とは何だろう。簡単にいうと、ある物事があるとすると、「なぜその物事が存在するのか」という能力のことだ。この能力があるからこそ、人間は因果能力を認識し、将来の出来事の予測やその予測したことから危険回避などができる。
 
理性はデカルト以来の近代哲学で絶対的な領域に置かれていた。人間には等しく理性が備わっていると考えられたからこそ、平等が大事にされた。
 
では、なぜ、なぜ、なぜとこの理性能力を極限まで使うとどうなるか。それがカントの大事な仕事の一つ、アンチノミーの提出とその解決である。アンチノミーとは二律背反のことで、同時に存在すると矛盾する二つの事柄が成立してしまう状況を言う。
 
カントの第一アンチノミーは時間と空間に関するものだ。簡単に言うと、時間と空間について理性を働かせて極限を考えるとどうなるのか、そういうお話。
テーゼ 時空は有限である。
アンチテーゼ 時空は無限である。
この二つのテーゼ、ここでは詳述しないが数学でいう背理法を使うとどちらも真になってしまう。
 
このアンチノミーに対するカントによる解決法はこうだ。
時空というのは、感性の主観的な形式である。それゆえに、感性と対立する理性が時空を扱うとおかしなことになってしまう。時空は客観的なものとして理性でいくら考えても捉えようがない。時空とは感覚器官でとらえる主観的なもの、簡単にいうと感覚でしか感じられないものなのだ。そうすると、そこに理性が入る余地はない。
 
そもそも感じるしかできないものに、有限や無限などといった大きさや量などない。
だから、テーゼもアンチテーゼもどちらも偽となり、このアンチノミーは仮象矛盾となる。
 
この解決法をとったカントは何が言いたかったのだろうか?
理性と感性は協業してはじめてこの世界に現実感、リアリティーを与えるのだ。
だから感性が扱う領域を理性で論じても解はでない。こういうことを示唆してくれたのだ。
 
そしてもう一つ大事なアンチノミーがある。第三アンチノミーだ。そのことについてはアンチのブログに書いてあるので、また読んでほしい。
 
第三アンチノミーによって解決された自由と因果律の関係から、自由はカントの実践理性、つまりなにかしら行動する上で判断する際に使われる理性能力への考察へと移行する。
 
そしてカントは実践理性から道徳の原理を導きだすが、これが後世不評だった感じは否めない。そしてそこで出てくるのがヘーゲルである。

※1 批判とは、カント哲学では特にふるい分けるとか、正しく選別するという意味合いが強い。俗的な使い方である、人を「批判」して、こき下ろすといったような意味合いはない。

ヘーゲル(未)

 
カントの最大のライバルにてキルケゴールの最大のライバル、それがヘーゲル!
 
後世の悪評高きヘーゲルだが、その哲学は意外とまともで面白いものだ。
 

フォイアーバッハ及びカール・マルクス(未)

ゼーレン・キルケゴール(未)

キルケゴールとレギーネ・オルセン(未)


  • 最終更新:2016-12-01 00:30:30

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